今朝の河北新報(投稿記事)に掲載”桜花悲しみに寄り添う”

今朝の河北新報に投稿記事として掲載されました。

 

実際の記事の内容は若干編集されましたが、私が投稿したのは以下の文章です。

 

昔から桜は『鎮魂の木』ともいわれ、亡き人の追悼のために植えられて来ました。

そこで私たちは、昨年6月、手を合わせ協力し鎮魂と復興を祈る“手あわせ桜プロジェクト委員会”を設立し、被災地への植樹活動を始めました。

 

桜の苗木は“桜オーナー”として全国に募集したところ、海外在住者も含めて多くの支援者を募ることができました。同時に「ボランティアはできませんが、想いを桜に託します」とか「桜が見守ってくれますように」などの、多くのメッセージが寄せられたのです。全国の多くの方が東北を見つめていること、皆さんが桜に込める切なる気持が伝わって来ます。

 

最初の1本目は、石巻好文館高校の音楽部の生徒と共に学校に植えました。植樹をきっかけにミニコンサートを開催し、市民を元気づける歌声を届けることができました。

秋には同市大川小学校近くの霊園とその周辺に40本を植樹。曹洞宗青年会による慰霊法要の後、被災された方々100名と一緒に汗を流し作業することができました。参加者の女性が『孫が花になって生まれてかわって欲しい』と話していたのがとても印象的です。戦後、慰霊のために桜を植えたこともあったように、旧河北町・旧桃生町の寺院にも供養の桜として植樹することができました。また、東松島市野蒜(のびる)の駅裏の小高い丘に15本。ここは多くの人命を救った私設避難所、通称佐藤山という場所です。

さらにこの3月には岩手県大槌町の中学校に、その卒業生と共に植樹をします。石巻市に《鎮魂の桜の森》づくりも準備中です。しかし、津波被害にあった土地は建築が制限されているように植樹にも規制があり、思うように桜を植えられないのが現実です。

 

今後の地域づくりは、政府の【復興構想7原則】にある「失われたおびただしい“いのち”への追悼と鎮魂こそ(中略)復興の起点である」という理念を基本にして、各地域で具体的な都市計画が本格的に進むことになります。

そこで地域づくり担当者の皆様には、ぜひ「公園化計画ゾーン」に、津波がその地点まで到達したことを知らせる標(しるべ)として、また後世に災害の記憶をとどめるために、桜を植樹できるスペースを考えて頂きたいと思います。

桜は寒く苦しい季節に耐えて花が咲くように、生きるチカラを与えてくれる花です。また、どんな場所でも必ずいつか花が咲く、春が訪れるという希望を抱かせる花でもあります。

このような桜を植えることによって各被災地が点となり、線で結ばれることで東北の太平洋沿岸の桜ロードとなり、桜の巡礼地になるかもしれません。

桜の花を見ることで、かけがえのない人の思い出が蘇るように、悲しみに寄り添う場所があることによって、本当の復興がスタートできるのだと思います。

何年か後に、桜が“涙色”から“希望の色”に変わる時(そのように感じた時)、人々の心の中で大きな峠を越えられるように、桜をシンボルツリーとして皆が手を合わせ協力して祈り、日本の魂となり、心の支えになればと願います。

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