不安解消の坐禅の効能!?

坐禅が不安を解消する!?

これは大反響だったようです。

しかし、我々僧侶にとっては、坐禅のメリットなど考えること自体、そしてそれを人に伝えるようなことはしてはいけないことだからです。

それは、坐禅は”目的を求めない”ということを主眼に置いたカタチだからなのです。

何かの為に坐禅をする。

不安を解消するために坐禅をする。

それ自体が、すでにとらわれている、というのです。


とらわれ、イコール執着すること。

何も求めず、ただ~する。ということが、禅では大切で尊いことと考えます。

目的を求めないということです。

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人は常に何かご褒美を欲しがるものです。

勉強すれば将来・・になる。なれる。

将来・・・の為にスポーツをする。・・・なれるから、苦しい練習に耐える。

すべて・・・の為に・・・の役に立つから・・・するという考えを持つ。

例えば、席を譲る時、何か見返りを求めようとしないで譲りますよね。

せっかく譲ったのに、あの人はお礼も言わない・・・と思ったら、

それは本当の行為ではないのです。

私が学生の頃、インドを旅行した時に、お恵み頂戴と人が群がってきました。

昔のインドではよくあることでした。

本当にわずかな物品を渡すと、パーと散ってお礼も言わず去っていく。

何だ失礼な!と最初の頃、憤慨しましたが、

インドでは物品を差し上げた方がありがとうございます。とい言うのです。

物品を手放すことが徳を積むこと。

あなたのおかげで、徳を積むことができました。

と、自分が相手に向かって感謝しなければならないのです。

喜捨(きしゃ)という意味です。

つまり、もらう方(受け取る方は)は頭など下げないで、大きな顔をしていられるのです。

ちょっと話が違ってきましたが、見返りを求めず相手に施してやるのが

本当の布施というものです。

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ただ・・・する。というのは、そんな坐禅の意味と同じで、何かを求めてはいけないというのです。


座禅をして悟ろうとか、えらくなるとか、病気がなおるとか・・・

ところが・・・に坐禅が役立つ。

こんなキャッチフレーズであれば多くの人が体験してみようとする。

本来の仏教的意味ではありませんが、坐禅の普及にはつながります。

何も求めない・・だけの崇高な坐禅は、本来の意味を求める出家者の坐禅でよいと思います。

それを一般世間の人にあてはめても、しょせん無理というもの。

ですから、不安に坐禅が役立つというテーマは、一般の人向けであって、坊さん達が

”座禅はそのような意味ではない”と声を大きくしても見当違いなことです。

坐禅は数えきれない多くの入り口(入門)があるのですから、”・・・・に役立つ坐禅”というのも、これも一つの門であり入り口です。

このような機会を得て、坐禅をやってみよう、坐禅に親しむということが大切かと思うのであります。

そして、不安がすこしでも少なくなれば、坐禅の効能があったと言っても良いでしょう。

坐禅は”何々でなくてはならない”と言った型にあてはめたら、その時点ですでに坐禅ではなくなってしまうのですから・・。

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